きれい
2019年 01月 05日
北欧神話に由来する「ゴーザフォス」という名前は、神の滝を意味しているそうだ
memo 今日のダーリン
・ふだん、人が「あれは、もう古いね」とか言うときは、
あんまりいい意味で言ってるわけじゃない。
古いというのは、日常のなかでは、
だいたい価値が低いということになっている。
しかし、観光地に行って、人びとが行こうとするのは、
「古い場所」がほとんどである。
京都でどこへ行こうかということになったら、
ほとんどの人が、古い神社やお寺に行こうとする。
「もっとすてきな新しいお寺に行こうよ」なんてことは、
絶対にだれも言わないと思う。
古いものは、長い時間のなかで、
価値観の変化に関係なく残ってきたのだから、
それが行くべき観るべき価値を保証している、
というような説明もできるかもしれないが、
そんなものだけでもでもない。
飛鳥時代の人の落書きにも、人は集まるし、
恐竜の化石が発見された場所も観光地になる。
遺跡とか古代からの景色とか、強力な観光資源だ。
つまりその、ものすごく平たく言えば、
「古けりゃなんでもいい」のだとも思う。
建物でも、道でも、川でも、なんでもだ。
観光地として名高いところは、古いものがある場所だ。
京都も、奈良も、三内丸山も、昔の人たちが、
それをつくったおかげで、観光客が集まってきている。
エジプトも、ギリシャも、ローマも、パリも、
訪問者が観光したいのは、古いものがほとんどである。
新しい建築や、新しい施設などで人を呼び寄せるのは、
ほんとうにむつかしいと思える。
ただ、いま古いものとされているものも、
つくったときには新しかったのだから、
いまを生きているぼくらも、怖れてばかりではいけない。
1000年後に、人を呼べるようなものをつくらなきゃなぁ。
実用だとか、効率だとか、機能だとかばかりで、
いまの人の目だけを意識してつくったものは、
ちゃんと古くなれないような気がする。
そういう意味じゃ、権力者がわがままでつくるものって、
わりと後世まで生き残ったりするものなんだよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
寺院とか城郭とか、日常の感覚からしたら妙なものだしね。
by saku-saku-chika
| 2019-01-05 18:08
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