ほんとに
2019年 01月 05日
NASA
糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
01月04日の「今日のダーリン」
・さっき、赤ん坊の写真を見ていて、
「彼女は、きっと、運よくなんとかするでしょう」
というセリフを思いつきました。
きっぱりとそういうふうに言ったら、
こりゃぁ気持ちいいだろうなぁと、にんまりしました。
いまの時代に生きている人は、ほとんどが、
「ああして、こうして、こうやったら、こうなる」と
信じこんでいろんなことをやっています。
ほんとは「ああして、こうして、こうやった」としても、
「こうならない」可能性だらけなのです。
つまり、習い事をして、身体を鍛えて、いい学校に行って
いい会社に入れば、幸せになる……確率が高いと信じて、
「ああして、こうして、こうやっている」わけですよね。
会社の仕事にしても、同じようなことが言えて、
「ああして、こうして、こうやるので、こうなります」
と、みんなで言い合ってなにかしています。
「こうなります」ということについては、
ほんとうはそうなってない場合も、おおいにあります。
そんなに計画どおりにうまくいくのなら、
ほとんどの人も組織も、うまくいってるはずですよ。
でも、そう言っちゃいけないことになっているのです。
「ああして、こうして、こうやったら、こうなる」と、
言い続けるのが、現代の「まじめさ」なのです。
そういう時代に、
「彼女は、きっと、運よくなんとかするでしょう」
と言うのは、まじめな親は言っちゃいけないセリフです。
でも、実際には、そのくらい余裕を持ってなくちゃ、
窮屈でしょうがないし、おもしろくもないでしょう。
どうせ予定どおりになんかなるわけないんだし。
ぼくは、思いついたセリフを、
赤ん坊に言ってやろうと思います、親じゃないんだし。
いや、親だとしても言ったほうがいいと思うんですよね。
ひとりの人間の生き抜く力を、もっと信じてやりたい。
確率だとかにどれだけ賭けても、ハズレはハズレだもの。
「ああしようが、こうしようが、たのしかった」とかね、
笑顔で言ってるような女性になったらいいなぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
教えられるのは、「姿勢」というものだけかもしれない。
by saku-saku-chika
| 2019-01-05 18:00
| つぶやき
|
Trackback