怒濤の

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Photograph by Mehmet Aslan, National Geographic






脱兎のごとく1週間
やったことといえば
スポーツ倶楽部の登録
のみ
あとは
出勤して退勤して
ゆうはんつくってかたづけて
朝起きて弁当詰めて
出勤して退勤して
ひたすらそれをくりかえす




すげー
超日常 ケOnly

















04月06日の「今日のダーリン」
・信仰と科学のちょうどいいバランスのなかに、
 じぶんの物語が落ち着けたらいいのになぁと思う。
  
 犬と暮らしているそれなりに多くの人が、
 「犬がしゃべった」と言う。
 うちにいたブイヨンは「かなちゃん」と言った。
 じょうずにではないが、家人の名を親しく呼んだ。
 ぼくらの物語のなかでは、なんの問題もないことである。
 それは信じるということの次元にあるからだ。
 たしかに言ったとか、そう聞こえたとか、煎じつめても
 どうでもいいことで、犬は「かなちゃん」と言ったのだ。
 しかし、同じ人間が、つまりぼくが、
 「犬はしゃべらない」ということを知っている。
 しかも人間のことばをしゃべるということはありえない。
 これは科学であり、先人たちの労苦の末に得た知見だ。
 「犬が笑った」ということについても、同様である。

 大吉のおみくじを引いて、悪い気はしない。
 しかし、そのおみくじが、どういうところで
 どういう人によって作製されているのか、
 ということなどを知らないわけでもない。
 飛行機に乗って旅をするときに、少しだけだけれど、
 「もしかしたら落ちる」ということを意識している。
 自動車に乗っていて事故に遭う確率のほうが、
 ずうっと高いということも知っているくせに。 
 ぼくの、ぼくなりの物語というのは、
 まるまるぜんぶが科学でできてるわけじゃないし、
 こころの信じることだけでできているわけでもない。

 吉本隆明さんが、昔、こんなことを言ってた。
 「頭がすっきりするのはマルクスなんだけど、
 気持ちがいいなぁと思うのはエックハルトですねぇ」と。
 それを聞いた日に、さっそく、
 なんだか知らないままに『エックハルト説教集』という
 文庫本を買ったのだけれど、そのままになっていた。
 いまごろだけど、読んでみようかなと思う。

 つまりその、犬はしゃべるし、犬はしゃべらない。
 ぼくらは、そのあやしげな釣り合いのなかに生きている。
 そして、そのバランスは他人とちょっとずつちがうのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
スキだとかキライだとかも、信じていることのひとつだね。


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by saku-saku-chika | 2018-04-07 10:53 | つぶやき