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さみー






冬将軍ずかずか到着
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Photograph by Michael Gribbin, National Geographic Your Shot



http://www.1101.com/essay/2017-12-06.html












・学校の勉強が、よくできているかどうかは、

 試験というもので測られます。

 試験は、主にというか、ほとんどは、

 「ことば」という道具を使って行われます。

 体育の場合ですと、実際に身体を使って、

 跳び箱を跳んでみるとかでの試験もありますし、

 美術なら、絵を描いてみてもらう、

 音楽なら歌ったり弾いたりでの試験もあります。

 でも、そういう課目についても「筆記試験」があります。


 ことばという道具を、うまく使えるかどうかは、

 なにかを理解しているか、表現できているかをみるのに、

 とても重要な役割をしています。

 よく言われることですが、なにを勉強するにしても、

 「国語」ができることが大変有利になるのは、

 これはもうその通りではあると思います。


 そして、そういう「ことば」を使う試験のようなことは、

 ぼくらの生きている日々のあらゆる場面で、

 ひっきりなしに行われています。

 うまく「ことば」を使えることが、

 人として優れていることのように評価されやすかったり、

 「ことば」という道具で、

 さまざまな競争に勝ちやすくなっていたり、

 ときには、真実を「ことば」によって練り上げることも、

 できてしまったりすることだってあります。


 「ことば」はすごいものです。

 善いも悪いも、美しいか醜いかも、

 「ことば」が決めてしまうことが、いくらでもあります。

 だから同時にこわいものだということも言えます。

 かつて、ぼくは冗談でこう言ったことがあります。

 「ペンは剣よりも強し。だから、武器よさらば。」

 あんまりウケない冗談でしたけれどね。


 「ことば」によって、理解し、表現し、伝え、交わる。

 このことに、重きをおきすぎているんじゃないか。

 「ことば」を使う仕事をし、「ことば」で遊びながら、

 ぼくは、ずっと思ってきたような気がしています。

 「ことば」でないものを、もっと感じたいです。


今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

どうもぼくは、ダンサーというものに、憧れがあるみたい。



by saku-saku-chika | 2017-12-13 22:20 | つぶやき