
・小さいころに、おばあさんとか、大人とかから、
「しょうがないんだよ」と言うことばをよく聞いた。
ほんとうに、ひんぱんに聞いたと思う。
こどもの時代は、「そうかなぁ、そうなのかなぁ」と、
漠然と不満に感じていたけれど、
なんとなく胸に納めて、やがて忘れていった。
思春期から、青年になると、
「しょうがない」ということばは、
もう、まるで「敵のことば」のように見えた。
その「しょうがない」が、いろんな悪いことを育てた!
その「しょうがない」のままでいいのか!
などと叫ぶのは、まず、むつかしいことじゃなかった。
言っていると、純粋で人間らしいという気分になれた。
まったくもう、なにが「しょうがない」だ、と怒った。
怒りながら、なんのことをどうすればいいのか、
じぶんのこととして考えたら、とてもむつかしかった。
やるべきことの順序がわからないでいるうちに、
胸焼けのようなもやもやを残したまま、
ひとつひとつのことを忘れていった。
ずっと忘れてないこともあるけれど、
「しょうがない」ことがずいぶんたくさんあることに、
だんだん気がついてしまった。
「しょうがない」のままにしておかないためには、
ほんとうに、なんとかすることが大事になる。
「ほんとうになんとかする」ことは、
口を尖らせて叫んでいるだけじゃはじまらないし、
さまざまな困難も乗りこえていかなきゃならない。
ずっと続けていく覚悟と、責任も大事になる。
できるだけのことをするだけでも、なかなか大変だ。
そうなると「しょうがない」のままにしておくことと、
そうはいかない「ほんとうになんとかする」ことが、
どっちもあるという状態になる。
忘れるわけじゃなくて、「しょうがない」とすること。
これは、「しょうがない」に怒って、
やがて忘れてしまうことよりも、ずっと大人の仕事だ。
おばあちゃんや、おやじ、大人たちの「しょうがない」が
いまごろになって、ちょっとわかったような気がする。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人から好かれないなんてことも「しょうがない」のうちだ。
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