最後の
2017年 09月 17日
・横尾忠則さんと話していると、
どこらへんの角度からこっちを観察しているのか、
まったく見当がつかないのです。
「あ、そこからですか!」とびっくりすることだらけ。
先日も、世の中の人がそれなりに知っている
横尾さんの若いときのエピソードについて聞いてました。
横尾さん、機嫌よくしゃべってくれてて、
途中で、当然のようにこう言ったのです。
「この話、イトイくんにも何度もしたよ」と。
「どうして、はじめて聞くみたいな顔で聞いてるのか、
不思議でしょうがないよ」と、
セリフの間にある「ト書き」のように言ったのでした。
ぼく自身も、「この話したっけなぁ」と、
気にかけながら同じ話をすることは、よくあります。
何度もしている話なんだけどさ、とか言いつつ、
やっぱり話したいから話しちゃおうということもね。
ときには、相手が「いや、聞いてないです」と、
重要な参考意見を言ってくれることもありますよ。
ただねー、横尾さん、同じ話をしているって、
じぶんで知りながら、聞き手のほうを観察してるの?
ほんとに、いろんな場面でびっくりさせてくれます。
・で、で、ぼくの何度もしている同じ話をします。
ある関西出身の友人が、高校生のワルだったころ、
よく、そういうグループ同士でのケンカがあった、と。
「映画館の裏へ来いや」とか言って、
いきがってぞろぞろ歩いているとき、
実は心臓がドキドキしていたものだった、と。
それからずいぶん月日が経って、
そのころの仲間に会ったとき、ケンカの思い出になって。
そしたら、そのケンカ仲間が、うれしそうに言ったって。
「ケンカ、楽しかったなぁ、あの映画館の裏に行く道で、
ああもしてやろうこうもしてやろうと思いながら歩いて、
ほんまに、おもろかったなぁ」と。
この心底けんかを楽しそうに語る昔の仲間を見て、
「おれは、あの世界にずっといなくてよかった」と、
ぼくの友人は、しみじみ思ったのでありました。
これは、「得意」についての話なのです。
苦しくてつらい仕事は、好きでも「得意」じゃないと、
そういうことを教えてくれる話なのであります。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
好きなことよりも得意なことをしたほうが、楽しいかもよ。