造語か





アレキシサイミア (alexithymia)
P. E. シフネオスらによって1970年代に提唱された概念で
ギリシャ語の「a:非, lexis:言葉, thymos:感情」から作られた造語である。


自らの感情を自覚・認知したり表現することが不得意で、空想力・想像力に欠ける傾向のことをさす。
日本語では「失感情症」などと訳されることがあるが
感情鈍麻や無感動のように「感情の変化を失った状態」という印象をあたえる可能性がありまぎらわしい。
あくまで「感情を認知することの障害」である。


心身症とアレキシサイミアの関連は有名である。
心身症とは、ストレス性の潰瘍、高血圧など、心因の影響が大きい身体疾患のことである。
アレキシサイミアの傾向を持つ人は自らの感情を認識することが苦手なため
身体の症状として現れてしまうという機序が想定されている。
心身症以外にも、身体表現性障害、アルコール依存症、摂食障害、うつ病などの精神疾患にも
一部でアレキシサイミアが関係していると、シフネオスにより指摘されている。


脳科学的には
感情を認知することに関与する右半球と
言語に関与する左半球の連絡の機能的障害であるとする仮説や
辺縁系と皮質の橋渡しをする帯状回などの機能低下などの仮説が提出されている。
自分の感情を認識して言語報告することができづらいために
セラピストとの豊かなラポールを持ちづらいことも指摘されている。

















・からっと晴れた青空だったりするものだ。

 なにか悲しいものを胸に抱えて歩いているとき、
 あんまり爽やかな青空は似合わないのだけれど、
 そんなに都合よく雨は降らないものだし、
 どんより曇り空だったりすることもなくてさ。

 たいていの映画のなかで、拳銃が撃たれるとき、
 いかにも人間を殺せそうな火薬の爆発音が響くけれど、
 ためしに、リアリズムを狙った監督なんかが、
 登場人物が拳銃を撃つシーンで、
 玩具の花火のような軽くて乾いた爆発音をつくる。
 観客としては、そっちのほうがほんとうな気がする。

 ぼくも、交通事故に遭ったり、
 強い力でぶっ飛ばされたこともあるけれど、
 ずしんっとか、どすんっとか、そういう重さよりも、
 「ああ、こういうことになっちゃったんだ」という
 日常のはじっこにつながっている感覚があった。
 数メートル先には、買い物帰りの人が歩いているような。

 戦争というと、兵士たちが泥にまみれて、
 傷だらけになって敵の兵士たちと撃ちあうのを想像する。
 でも、それはやっぱり、最も戦争に見える戦争の場面で、
 実際には、そういう場面で死ぬ人ばかりではない。
 病気やら怪我やら生き埋めやら別の理由で死ぬ人が多い。
 学生をやめて兵隊に行くことを決めようとした
 若き日の吉本隆明さんに、お父さんが言ったそうだ。

 悶々と悩んだ夜が明けると、あたりまえのことだけれど、
 日が昇って朝がやってくる。
 夜には、夜にふさわしい秘密や悩みがあったのに、
 太陽の位置が高くなってしまうと、
 あっけらかんとした、別の一日がはじまってしまう。

 たいていの、ろくでもないことも、
 からっと晴れた青空の下で起こるものなのだ。
 それを馬鹿みたいなお天気とか、
 なめたことを言うもんじゃない。
 からっとした青空のほうが、歴史的にも大先輩なのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
さて、今日は悲しいかな。そしてからっと晴れてるかな。


by saku-saku-chika | 2016-05-19 05:19 | つぶやき