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あいまに

いや、なにが合間なんだかもうさっぱりわからなくなってはいるが
原稿の合間に禁断の読書 でもこれ実は
調べながら描いてる途中でみつけた新しくはない本
輝け!命の授業
TVの取材等も当時入ったそうだがそれは存じ上げぬ
でも読んでいると淡々とした記録にリアルな感情がつたわってくる
ドラマチックなことがなくったって
学校というハコの中でそれぞれのニンゲンたちが
右往左往すればそれだけで映像になってしまうんだけども
じぶんの立場というものをさいごまできちんとまっとうするって
なかなかできることじゃないなあ と読後の感想
それが未完でもきっと あとのひとたちに残せるんだなと
おのおのの場所から
できることを避けずに
やっていけたらいいよね







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Photograph by Alessandro Bosio


学校に限らずだけれど
決まった場所で動かせぬメンバーで最大限のパフォーマンスが
できなかったときどうするか ひとに教えるという立ち位置の人であるなら
その本来の役割が叶わぬ場合やはり ずっとそこに居続けるという選択は
しないでほしいと外野は思う 持ち場をはなれて第三者の目で見た時
自分が抱えていたことの全容がわかるかもしれないし
委ねられた人にならこころをひらく生徒であるんかもしれないのだから
可能性をつまないでほしい 大事な自尊心は言い換えると
ちっぽけなプライドかもしれないんだよ
つまづいたときの手当てって なかなか有効な手だてがないよね
取り戻せない時間は あとになって足かせでなく課題克服の目当てにもなるけれど
現在進行形である人々は長い長いトンネルでけっこうしんどい

上からでもなく
下からでもなく
水平な視線でみようよ









何日か前の 9月に入ってからの 今日のダーリン
http://www.1101.com/home.html



・昔、ぼくらがお年寄りから教わったことを、
 いまの若い人たちは、誰から教わるのでしょうかね。
 「ごはんのときには、まず汁物から手を付ける」とか、
 「思ったことを口に出す前に、
  ちょっとだけ間をとる」とか、
 「じぶんの都合ばかりを言わない」とか、
 「相手が見えなくなるまで見送る」とか、
 精神主義的にとらえすぎないほうがいいと思うんです。
 それは、じぶんのことを軽んぜられないための
 「生きる技術」であり、
 他の人たちを自然に敬うための
 これまた「生きる技術」であるように思うのです。
 
 正直に言いますが、ぼく自身、そういうことを、
 言われたり学んだりしたときの、その場面を、
 いくつか、まだ、絵として憶えています。
 見送りのかっこよさを学んだのは、
 故藤田元司監督からでした。
 年下のぼくと別れるときに、クルマが見えなくなるまで
 頭を下げていたのには感動してしまいました。
 それは礼儀というよりも、美意識だったかもしれません。
 そのほうが、じぶんにとって
 気持ちがよかったということのかもしれません。
 でも、されたぼくの心に、たしかに、
 「大事にされている」という気持ちが湧きました。
 
 「先ず、汁から」は、先輩のお母さんとデートして、
 うなぎをご馳走になったときに言われたことです。
 ぼくは、そのしつけを受けてませんでしたから、
 そのときに「今後は、そうしよう」と学んだのでした。
 
 思ったことをすぐに口に出してということについては、
 ま、いまだに失敗しています。
 「ひと呼吸」おけないというのは、人としての弱さです。
 これは、誰に教わったというより、失敗に教わりました。
 いまの若い人の両親は、ぼくより若かったりしますから、
 昔から伝わるような「生きる技術」について、
 あんまり関係ないや、と考えている、かもしれません。
 でも、なんかそういうこと、伝えておいたほうがいい
 ‥‥ような気がしてきました。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
さぁ、ぼくら自身も待っていた「手帳」の船出の日です。




もひとつ ほぼ日さんから
山田ズーニーさんの「おとなの小論文教室」
http://www.1101.com/essay/2012-09-05.html
読み終わるとストンと来る 技術だなと思う そして思い出したことがある
むかし 手紙を出すのがスゴく好きで その当時は相手からの返事を
ほんとうにほんとうに心待ちにしていた いまみたいなネットのない頃で
電話も携帯なんかなくって 古き良き 笑 つまり むかし子どもだった頃だ

手紙を出す行為そのものは今もわりと好きだけれど
もう相手の応答に一喜一憂しないでいられるように
だいぶなった 返事が来なくても前みたいに せんさくしないで
いられるようになった 出したいから出す
ただそれだけなんだよな 文豪でも作家でもないんだもん消費しちゃうもんだしさ
相手にとってはどうかわからんけど 自分側は だから
長い文章は書かないし 
そうだ 自分にとってのツイッターかも 手紙とくにハガキは

なんてことをズーニーさんの文読んでおもいだしたわけです
by saku-saku-chika | 2012-09-05 14:55 |