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師走でございます

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アルゼンチン南部パタゴニア・アンデスの夜空
彗星が一筋の尾をひき、天の川が明るく輝くかたわらに
大マゼラン雲と小マゼラン雲(写真の右側)が光を放つ
写真=MILOSLAV DRUCKMÜLLER@ナショジオ








「病膏肓(やまいこうこう)に入る」の意味は、もともとは
病気が医者の手の下しようもないほど重篤になった状態のことをいいますが、
最近は趣味などに熱中して手のつけられないような状態の時に用いられることが多いようです。
膏肓(こうこう)が正しいのですが、肓(こう)という字に馴染みがないため
盲(もう)と間違われ、「病膏盲(やまいこうもう)に入る」と間違って使われることがあります。
「膏」は心臓の下部の心外膜をさし、「肓」は横隔膜の胸腔側の漿膜をさすといわれています。
つまり、病気が心臓と横隔膜の間の手の下しようのない空間に逃げ込んでしまったために
医者としてはお手上げになったという意味です。
「病膏盲(やまいこうもう)」ではなく、「病膏肓(やまいこうこう)」と正しく使いましょう。 
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ゲームマニアの間で「特定の結果を得るための状況が成立した
/している」ことを「フラグが立つ/立った」と言うようになり
これが更に広がって、一般的なヲタク間で「なんだかある方向に進みそう」
という予感があるとき「フラグ立ってるからねぇ」とか言うようになった

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【ドラマケーションとは】

・「ドラマ(演技・演劇)+コミュニケーション」の合成造語。
・「いつでも」「どこでも」「だれでも」「自然に無理なく」取り組める
・ 遊びの要素をふんだんに含み、やさしく体験できる
・ 演技の基礎的なメニューを取り入れた体験型ノンバーバルメソッド
「遊び」は、人を「解放(リラックス)」し、物事に「集中」させ
「周りを感じる」力を持っています。
また、楽しさを感じると、心も体も自由に活き活きと解放され、
普段忘れていたさまざまな感覚(五感)がよみがえってきます。
そうして自分という存在に「気づき」、他者の存在に気づき、
他者と自分との関係のなかでアイデンティティー(自己)の確立がなされるのです。
自己確立のできている人は、他人とのコミュニケーションも円滑になり、
目的意識を持って積極的に社会と向き合うようになるのです。

2005年に東放学園高等専修学校で、文部科学省委託事業
「コミュニケーション能力と表現力を高める演技・演劇による自己開発プログラム」
の研究開発によって誕生したドラマケーション。大学・高校の教育現場はもちろん、
職場、家庭等で役立つ体験型のプログラムで、現在はドラマケーション普及センター
で実施しています。





【ワールドカフェとは】
1995 年にアニータ・ブラウンとデイビット・アイザックによって開発・提唱されました。
リラックスした cafe のような雰囲気の中で行います。
4,5 人に分けたテーブルで自由に対話を行ない、
他のテーブルとメンバーをシャッフルして対話を続けることで、
参加する全員の意見や知識を集めることができる会議手法の1つです。
結論をまとめる必要はありません。その場に出てくる話と参加者との対話を楽しみます。
多様な意見を受け入れ、それに触発される自分を楽しみます。
アイデアや思いついたことを書く、描く、つなぐ楽しさが実感できます。
テーマに沿った深い洞察と対話によって場が活性化します。





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先週だったかな 「今日のダーリン」by糸井重里
・「Only is not Lonely」
 「ほぼ日」の基礎にあることばは、これです。
 英語としては、まつがってるようですが、
 変えるのもむつかしくて、そのままにしています。
 日本語にしたら、
 「たったひとりということは、孤独だってことじゃない」
 というようなこと、のつもりです。

・徒党を組んだり、群れを成したりするのが
 苦手な人がいます。
 実は、そういう人は、いっぱいいます。
 ぼく自身も、そういう人のひとりだと思います。
 でも、「ひとり」たちが、たがいを知り合って、
 力を合わせて、なにかを建設することもできます。
 「ひとり」が、別の「ひとり」を理解して、
 慰めたり勇気づけたりすることもできます。
 「ひとり」と「ひとり」は、つながれるんですよね。

・そして、「ひとり」の部分を失っていて、
 群れとしてしか生きてない人は、
 「おおぜい」というモンスター人格になっちゃいます。
 ぼくは、若いころから、よく
 「ひとりでいる顔が想像できない人は、嫌いだ」と、
 生意気にも公言しておりました。
 これは、実はいまでも思っていることです。
 たいていの、いい男やいい女は、
 ひとりでいるときの顔をしっかり持っています。
 
・インターネットが発達したことで、
 近くにいる人々の他に、遠くにいる「ひとり」と、
 つながりが持ちやすくなりました。
 そのことで、ますます、
 「Only」な「ひとり」は、「Lonely」でない
 ‥‥ということがわかりやすくなりました。
 
・あの大きな震災があってから、ますます、
 「ひとり」ずつが、じぶんの足で立っていることと、
 「ひとり」ずつが「つながりあう」ことが、
 大事になったように思います。
 もっと、言おうかな、「Only is not Lonely」。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
新しい週になって、またいろいろおもしろいのがあるよー。
by saku-saku-chika | 2011-12-01 15:22 | つぶやき