もう一回
2017年 12月 11日
・小さいころに、おばあさんとか、大人とかから、
「しょうがないんだよ」と言うことばをよく聞いた。
ほんとうに、ひんぱんに聞いたと思う。
こどもの時代は、「そうかなぁ、そうなのかなぁ」と、
漠然と不満に感じていたけれど、
なんとなく胸に納めて、やがて忘れていった。
思春期から、青年になると、
「しょうがない」ということばは、
もう、まるで「敵のことば」のように見えた。
その「しょうがない」が、いろんな悪いことを育てた!
その「しょうがない」のままでいいのか!
などと叫ぶのは、まず、むつかしいことじゃなかった。
言っていると、純粋で人間らしいという気分になれた。
まったくもう、なにが「しょうがない」だ、と怒った。
怒りながら、なんのことをどうすればいいのか、
じぶんのこととして考えたら、とてもむつかしかった。
やるべきことの順序がわからないでいるうちに、
胸焼けのようなもやもやを残したまま、
ひとつひとつのことを忘れていった。
ずっと忘れてないこともあるけれど、
「しょうがない」ことがずいぶんたくさんあることに、
だんだん気がついてしまった。
「しょうがない」のままにしておかないためには、
ほんとうに、なんとかすることが大事になる。
「ほんとうになんとかする」ことは、
口を尖らせて叫んでいるだけじゃはじまらないし、
さまざまな困難も乗りこえていかなきゃならない。
ずっと続けていく覚悟と、責任も大事になる。
できるだけのことをするだけでも、なかなか大変だ。
そうなると「しょうがない」のままにしておくことと、
そうはいかない「ほんとうになんとかする」ことが、
どっちもあるという状態になる。
忘れるわけじゃなくて、「しょうがない」とすること。
これは、「しょうがない」に怒って、
やがて忘れてしまうことよりも、ずっと大人の仕事だ。
おばあちゃんや、おやじ、大人たちの「しょうがない」が
いまごろになって、ちょっとわかったような気がする。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人から好かれないなんてことも「しょうがない」のうちだ。
by saku-saku-chika
| 2017-12-11 10:29
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