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Photograph by Florian Ledoux, National Geographic




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Photograph by Shafi Rasheed, National Geographic





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Photograph by Sean Chinn, National Geographic





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応援隊のみなさま

捨てるカミあれば拾うカミはいったいどこにいっちまったんだよう〜という日々でございますが元気です有り難い










・わかっている人はわかっていることなのだろうが、
 ぼくは「屈託なくない」人間である。
 豪放磊落でもなければ、公明正大でもなく、
 根本的には、いじいじしていてこころが小さい。
 しかし、できることなら、
 屈託なく生きたいと思っているので、
 なるべくそうであるようにじぶんをコントロールする。
 それは、だんだんと習い性のようになって、
 もともとの「屈託なくない」ところが薄まっていく。

 そういうじぶんの性格があるせいか、
 友人やなかまにも、似たような人が多くなるように思う。
 「屈託なくないけれど、屈託ない」というような、
 こころの底のあたりに少しだけ影のある人のほうが、
 なんとなくつきあいやすいような気がしている。
 それは、いわば、同じ痛みを知っているがゆえに、
 じぶんのことも理解してくれるのではないかという
 甘えに似た期待があるからなのかもしれない。

 青空を背景にわっはっは、というような人も、
 たぶん実際にいるのだろうとは思うけれど、
 それは人間というややこしい生きものにしては、
 ぼくには、不自然すぎるようにも思える。
 かつて、ぼくは冗談のような格言をつくったことがある。
 「明るいばかりの人は、ちょと困る。
 その人のせいで周囲に影ができて暗くなるから」

 そうかといって、「屈託ばっかり」というのも、
 周囲の人間としては、ちょっと面倒をみきれない。
 どこかに、つなげばつなげるための手を、
 出しておいてくれないかとお願いしたくなる。
 たしかに、世界はなにかと困難なことが多いだろうよ。
 そうそう、だれかのせいでうまくいってないかもね。 
 それはわかるけど、あんたにもすることがあるだろうよ。

 ま、こういうことを言ってるのは、
 じぶんに都合のいい「屈託かげん」のことを、
 肯定したいだけなのかもしれない。
 料理で言えば、塩かげんみたいなことなのかもしれない。
 でもたしかに「屈託かげん」って、あるよねぇ?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ヒマワリと月見草の間にも、無数の花が咲いてるわけです。


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by saku-saku-chika | 2017-09-26 11:33 | つぶやき

日常 @イラストレーター(基本形 )+福祉職+社士試験めざす大学生(ようやく卒業見込) 年中へこたれ中 mail→ https://chikaka.jimdo.com/お問い合せ/


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