ワサワサ







みなみなさまホンマにまいにちお疲れさまです
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ふりかえってみた

きょねんは今年とおんなじ記事なんで てへ









・若いとき、いつぐらいまでだったかなぁ。
 クリスマスイブは、ほんとうにいやだった。

 そういう気持ちは、日本中の、
 かなりたくさんの人たちが持っているはずなのだけれど、
 「苦しいほどさみしい」とか感じている当人にとっては、
 じぶん以外ほとんどの人のことが、幸せに見えてしまう。
 ふだんの日には、あんまり感じてなかった
 「じぶんのさみしさ」というやつが、
 他人たちみんなの幸せそうな明るさによって、
 格別に暗く重く目立ちはじめるわけだ。
 
 人の心持ちが明るく見えるだけではなく、
 街も道も、音楽も、すべてが明るく騒がしい。
 「じぶんのさみしさ」は、どこにもいられない。
 こんな、クリスマスなんてものがなければ、
 こんなにさみしくならなかったのに。
 というようなことを思う。
 幸せそうに見える人びとのことも、
 どこかで無理をしているにちがいないと想像する。
 こんな日があったから、その日のための演技をしている。
 そして、空から星が降ってくるかのように、
 じぶんのさみしさを溶かしてくれるような人が、
 ここに来てくれないものかと虚空に向かって願う。

 いつのまにか、その「さみしさ」は、
 クリスマスのせいではなくて、
 あらゆる人間が根源的に持っているものだと知る。
 その「さみしさ」と面と向かわざるをえない日が、
 たまに、たとえばクリスマスイブの夜にある。
 そんなことを知るようになる、じょじょにだけれど。
 そして、明るくまぶしく見えていた人びとのことが、
 そういうものでもないんだ、と知ることにもなる。
 
 じぶんが、たくさんの「さみしさ」を持っていると、
 あきらめるように知ってしまってからが、
 大人としての日々なんだろうと思う。
 クリスマスを憎んだことのある人は、幸いである。
 そのときに見つけた「じぶんのさみしさ」こそが、
 すべての素敵なものを入れる宝箱なのだと思うから。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
若くもないはずなのに、なにを書いているんだ、おれは。

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by saku-saku-chika | 2016-12-25 00:41 | つぶやき