モヤっ




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どうやったら時間ひねり出せるか寝てるとき以外いっつも考えてる










家事をやらずにすんだらどんなにか時間が
ころがりこむだろう
というのは妄想

わかっちゃあいるが
徒労の元凶そして

繰り言をいくら傾聴したって
なんもうまれぬ
そのうえ当人の気も晴れまい
やれやれ
手からさらさらと砂のように
時間がこぼれてく

詩的なんかじゃなく
まんまなんだってばよ
わかんねえやつらだな
ったく




時間を取り戻そうなどと考えぬことだ
いかに眉間でなく脳内に
シワを移すかだ

でないとオノレが
哀れ過ぎる



...........................................


・世の中の「忙しさ」の感覚というのは、
 大企業の「生産から市場に届くまでの時間」による。
 というのは、吉本隆明さんに聞いたことだった。

 農業が主な産業だった時代の時間感覚というのは、
 種まきから、田植え、稲刈り、脱穀を経て市場へ、
 というわけだから、半年くらいのサイクルである。
 工業社会になって、例えば自動車産業だったら、
 部品の製造や仕入れ、組立て、販売店からオーナーへ。
 設計から考えたらもっと長い時間になるだろうけれど、
 「つくって、売る」までにかかった時間が基準になる。
 食品なんかだったら、もっとずっと速度はあがるだろう。
 なにかをつくって、運んで、売る、買う‥‥という流れ。
 雑誌だって、かつては月刊誌が中心だったし、
 その後は週刊誌の時代になって、その草創期には、
 「そんなに、週に一度なんてできるのかいな?」と、
 冷や冷やさせられてたらしい。
 それぞれの時代の時間感覚というのが、
 そういうふうにイメージ共有されていて、
 それより速いサイクルのものが現れると、
 「このごろなんだか気ぜわしいな」と感じるようになる。
 
 しかしこのごろは「つくって運んで売って買う」までが、
 ひょっとするとゼロに近づいてきているわけで。
 インターネットの情報が、ものすごい速度で、
 大量に送られ、受けとられ、ゴミになったりもしていく。
 稲作時代の時間感覚はともかく、
 工業社会の忙しさも、はるかに跳び越えた秒速時代だ。
 つまり、そのことをしっかり噛みしめて考えるならば、
 速すぎて「だれにもついていけない社会」に、
 ぼくらは暮らしてるということだ。
 おそらく、人の思考や、人の感情や、人の身体は、
 そんなに速い時間の進み方のなかで機能できない。
 50万年もかけてつくられてきた人体のありようが、
 そんなに速い時間に合ってないのだろうと思う。
 
 いまのこの時間感覚にじぶんの身体を合わせようとせず、
 もともとの「人体時間」を尊重しながら生きていく。
 こういうことが、あえて「知的な選択」として、
 実行していけるように‥‥なりたいものであります。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
マシンと競争するようなことは、絶対やめたほうがいいね。






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by saku-saku-chika | 2016-12-21 21:12 | つぶやき

日常 @イラストレーター(基本形 )+福祉職+社士試験めざす大学生(ようやく卒業見込) 年中へこたれ中 mail→ https://chikaka.jimdo.com/お問い合せ/


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