せなか



よく 親の後ろ姿見せるのが何よりも教育とか
人材育成にはまず 上に立つものが実践してとか
でもさ
っておもうよね皆 迷うしめげるし引き返したいし
そっからどうするか なわけだけれど
だったら同時進行でいいじゃんと思う
お互いにすすめば育てば

年くったって成長しないわけじゃないし
意識してないと退化はげしいし
なおのこと励まないとさ
だったら一緒にやって
追い越してもらえばいいんじゃないのかな

立ち位置にしばられんのって
けっきょくせばめてる
うやまうとか たてるとか
ほんとのとこ どうなんだよって
ついついばあやは勘ぐってしまう訳で

へりくだりゃいいってもんじゃあない
そうしとく
っていう技法は時にあざとい
なんかさー 営業とか接遇とかコミュニケーションが
イヤで避けて フリーランスとかクリエイターとか
そういう分野に埋もれようとしたはずなのに

埋もれてんのは経済で
いっちばんふとくいなジャンルにみずから
ズブズブわけいってるんじゃね?
わらっちゃう
でも大昔どの師だかわすれたが言ってた

どんな職業に就こうとも
たったひとりで自営と名乗ろうとも
営業を避けて通る事はできないんです
かならずついてまわるんです
だから不得意にしない方がいいですよ と

せんせーのおっしゃるとーりでした
何せんせいか忘れたけど











todays darling start
・「花に嵐のたとえもあるさ。サヨナラだけが人生だ」
 ということばを知ったのは、たしか寺山修司からでした。
 どこで、どんなふうに知ったのか憶えていません。
 そのことばを、なにかのよすがにしたつもりもなく、
 なんだか、かっこいいなぁと思ったのでしょう。

 その後、寺山修司のオリジナルではないとわかりました。
 『幕末太陽傳』というカルト的に有名な映画があって、
 それを撮った監督の川島雄三が言ったらしい、と。
 いまのようにウィキペディアで調べたりもしませんから、
 「あれは川島雄三のセリフだよ」とか、
 映画好きな人に聞けば、ああそうだったのかと思います。
 川島雄三を好きな人たちから耳にする川島雄三像は、
 なんだかとてもおもしろくてかっこいい人でした。
 だからといって、川島映画を観るような機会もなく、
 『幕末太陽傳』を観たのは、DVDになってからです。
 その後、若尾文子の映画をまとめて観るようになって、
 『雁の寺』という独特な名作が、川島雄三演出だと知り、
 あらためて「サヨナラだけが人生だ」の人か、と、
 感心しながら思い出したりしました。
 
 やがて、グーグル先生のおかげで、
 「サヨナラだけが人生だ」は、
 寺山修司でも川島雄三でもなく、
 井伏鱒二が元だったと知ることになります。
 さらにいえば、その井伏鱒二もじぶんの作ではなく、
 唐の時代の漢詩を意訳したということだったらしい。
 よく調べれば元になる漢詩もネットで見られますが、
 井伏鱒二の意訳のほうが、しみじみしてていいです。
 
 と、ここまでは話のまくらみたいなもので、 
 かつて、ただなんとなくかっこいいと思ってたことばが、
 もっとずっとおもしろく思えてきた、
 ということが、言いたかっただけなのです。
 もっと現実感に合わせて言うならば、ほんとは、
 「出合いと別れが人生だ」なのでしょう。
 でも、わざわざ「出合い」のほうを削って、
 「サヨナラだけが人生だ」という心持ちに、趣がある。
 出合いよりも、別れのほうが、人間的だというか、
 すべての人が、みんな味わえるものですからねぇ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ふと、そんなことを思い出した、というだけのことですが。
 

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by saku-saku-chika | 2016-09-07 07:07 | つぶやき

日常 @イラストレーター(基本形 )+福祉職+社士試験めざす大学生(ようやく卒業見込) 年中へこたれ中 mail→ https://chikaka.jimdo.com/お問い合せ/


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