きょう  +

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ゆうべ皿を洗いながら見たテレビで
今日の誕生日を心から祝っていいのか戸惑うと云う親御さんのことばに
胸が詰まった いいんだようまれてきたのは希望のかたまり
うんでくれたことへの感謝をとおく多摩からおくります

なくなったおおぜいのひとびとは
きっと地上の我々を憂えているだろうな
3年経ってもこんなですかと
ほんとうに
どうして人って学べないんだろう

おろかだときちんとふまえて
具体的な行動をすぐに始めないで
まわりくどいことばかりしている
いつまた地震がおこってもおかしくないのになあ
それが中心地であろうと地方だろうと
かわりなくいっこの島なのに










6日間の研修が終わった
途中 店番や家族の見舞いなどもあり
自分見積もり上乗せ20%のハードさ
タフなのがとりえだったけれど
さすがに最終日ヘロヘロすぎて
帰宅の足ががっくがく

みなはきょうから配属先で勤務だが
われはボランティアのつごうゆえ先延ばしにしていただいた
介護の分野がじぶんに向いているとは思わない
でもそれは選択においてたいしたことじゃない
いちどおりた板にまた乗ろうと思ったのは
これまで
すきなこと得意なことやりたいことばかりで来たから
そろそろ逆を引受ける時期なんじゃなかろうかと思ったから

中年から初老にむかう今
まわりは若い人だらけで
そりゃ 気持ちがちちじむこともありはするが
でも自分だってそんなふうに
まわりに迷惑かけて だんだんおとなにしてもらったわけだから
こっからは
ほんのちょこっとずつでも
なんか返していけないかなと








なんちゃって
これじゃ すっげえデキルひとみたいだけど
そういうわけではまったくなく
そして走っていません案の上
駅伝終わってからまったく
ハハハハ

じかんつくるを放棄してる
ちょいと放置
まだペースできないから
シフト決まって
スキマがみえてきたら
パズルのように



............... http://www.1101.com/home.html

 

一昨年は、まだずいぶん生々しかった。

 この日を境にして、みんながあのときのことを

 忘れてしまうのではないかと、

 この地の人びとは心配していた。

 昨年は、一生懸命に落ち着こうとしていた。

 不完全とはいえ思い出してきた日常を、

 ことさらに揺らさないようにしていた。

 ここらへんのことは、単なるぼくの印象だが、

 気仙沼の友人たちの口ぶりも、そんな感じだった。


 不思議なことに、あれから三年という今年は、

 記憶が薄れたというより、

 刻まれていた記憶が深くなったように思えるのだ。

 不思議なことではないのかもしれない。

 悲しい思い出を心の水底に手を突っこんで、

 取り出すことができるほどに、

 時間がたったということなのではないか。

 そんな気がする。

 少しだけでも前に進んだと思えるからこそ、

 勇気を持って悲しみを見つめられる。

 そのくらいまでは、足腰ができてきたとも言える。


 たったそれだけのことと、悲観論者なら笑うだろうが、

 瓦礫の山は、もう見ようとしても見られない。

 ずっと、それを片づけ続けている人たちがいたから。

 いったん消えた牡蠣が、再び姿を見せてくれたには、

 いつごろのことだったっけなぁ。

 しょっぱくて貧弱な牡蠣を、「うまいなぁ」と

 口の中で味わっていた漁師さんの表情を憶えている。

 いま、そのときの牡蠣はぷりっぷりに太って、

 どんどん港から旅立って行っている。

 時間が経って、取り戻せたこともたくさんある。

 だから、悲しみを味わう余裕が出てきたのかもしれない。

 そう思いながら、あえて言うのだけれど、

 東日本大震災の被害は、あまりに大きく、悲しい。

 失うものの少なかった者の応援や手伝いは、

 まだまだ必要なんだと実感している。

 めそめそすることはないのだけれど、

 この地に大きな悲しみが襲ったことを、心にとめて、

 あれから四年目の日常を歩き出そうと思う。


今日も 、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。

「できることをしよう」できることだけでいいんだもの。 



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by saku-saku-chika | 2014-03-11 10:55 | つぶやき