きょう +
2014年 03月 11日
・一昨年は、まだずいぶん生々しかった。
この日を境にして、みんながあのときのことを
忘れてしまうのではないかと、
この地の人びとは心配していた。
昨年は、一生懸命に落ち着こうとしていた。
不完全とはいえ思い出してきた日常を、
ことさらに揺らさないようにしていた。
ここらへんのことは、単なるぼくの印象だが、
気仙沼の友人たちの口ぶりも、そんな感じだった。
不思議なことに、あれから三年という今年は、
記憶が薄れたというより、
刻まれていた記憶が深くなったように思えるのだ。
不思議なことではないのかもしれない。
悲しい思い出を心の水底に手を突っこんで、
取り出すことができるほどに、
時間がたったということなのではないか。
そんな気がする。
少しだけでも前に進んだと思えるからこそ、
勇気を持って悲しみを見つめられる。
そのくらいまでは、足腰ができてきたとも言える。
たったそれだけのことと、悲観論者なら笑うだろうが、
瓦礫の山は、もう見ようとしても見られない。
ずっと、それを片づけ続けている人たちがいたから。
いったん消えた牡蠣が、再び姿を見せてくれたには、
いつごろのことだったっけなぁ。
しょっぱくて貧弱な牡蠣を、「うまいなぁ」と
口の中で味わっていた漁師さんの表情を憶えている。
いま、そのときの牡蠣はぷりっぷりに太って、
どんどん港から旅立って行っている。
時間が経って、取り戻せたこともたくさんある。
だから、悲しみを味わう余裕が出てきたのかもしれない。
そう思いながら、あえて言うのだけれど、
東日本大震災の被害は、あまりに大きく、悲しい。
失うものの少なかった者の応援や手伝いは、
まだまだ必要なんだと実感している。
めそめそすることはないのだけれど、
この地に大きな悲しみが襲ったことを、心にとめて、
あれから四年目の日常を歩き出そうと思う。
今日も 、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「できることをしよう」できることだけでいいんだもの。