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「あがる」というのは、

 じぶんをよく見せようとするからだ、

 と聞いたことがあります。

 なるほどなぁ、と納得しました。

 その納得は、いろんな経験をしてきたら、

 さらに深くなってきたような気がします。

 

 じぶんをよく見せようという気持ちを、

 忘れられたら、ずいぶん自由になれます。


 これまでよりうまくやろうとか、

 できないことをできるようになりたいとか、

 そういうことは、あってもおかしくないと思うし、

 人の目があろうがなかろうが関係ないです。


 でも、よく見せようとか、

 よく思われようとかについては、

 相手のいることなので、

 相手のするはずの判断を、

 じぶんでしなきゃならないのです。

 それは、無理だ、だってじぶんは相手じゃないもの。


 だいたいのややこしい問題は、

 じぶんの判断できないことで起こります。

 相手のことを、いったん忘れて、

 「じぶんなりのせいいっぱい」を、

 「やってみようか」、とじぶんに言ってやれたら、

 少なくとも、じぶんが取りもどせると思うのです。

 

 「楽しんでやろう」というおまじないを、

 大人になってからおぼえて、とてもよかったです。

 そこには、すでに「じぶんの判断」があるからです。

 そしたら、おどおどしたり、迷ったりが減ります。

 じぶんを失っていないなら、なにがなんでも大丈夫。

 だって、次の一歩を踏み出せますから。

 

 じぶんで決められないことだっていくらでもあるけれど、

 そこに、じぶんで決められる部分を見つけて、

 「じぶんなりのせいいっぱい」を、楽しんでやる。

 ‥‥こんな考えを整理してみたのですが、どうでしょう。




………………………


・じぶんや、じぶんのチームの、いいところを発見して、

 それを伸ばすようにする。

 これは、とても大事なことだと思います。

 いいところ、うまくできることを伸ばしていくのは、

 じぶんの生きる道を広げてくれるばかりでなく、

 他の人たちにもよろこんでもらえるからです。

 

 これは、仕事をやっていくときに、

 ぜひ覚えておきたい公式だと思うのです。

 

 と言いつつ、そうでない考えが、ぼくのなかにあります。

 「じぶんのいいところ」を知っているのは、

 もちろん大事なのでしょうが、

 それを「知らないまま」というのも、

 とても魅力的だと思うのです。

 

 いま、「ほぼ日」での視聴率90%くらいの、

 朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の主人公は、

 「じぶんのいいところ」を、ぜんぜんと言っていいくらい

 わかってない女の子として描かれています。

 いや、主人公ばかりでなく、登場人物のすべてが、

 「じぶんのいいところ」をわかってないかもしれません。

 だから、ぼくらは見ていたい

 ‥‥ということもあるのではないでしょうか。

 

 なんか、日本のありきたりな土地の、

 ふつうの人たちって、「じぶんのいいところ」を、

 じぶんで探すのではなくて、

 誰かと、互いに探し合いながら生きてるんじゃないか。

 そんな気もするんです。

 「それじゃいけない」のかもしれないです。

 でもね、その要素も、活かしていけないかなぁ‥‥と、

 そんな夢も見ちゃうんですよね。

 

 「じぶんのいいところ」を探して伸ばすのはいいけど、

 「じぶんのいいところ」に気づかない

 という「いいところ」も伸ばす

 ‥‥っていうのができたらいいなぁ。

 じぶんからよく見える「いいところ」より、

 見えない「いいところ」のほうが、大きく広いからね。



今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。




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by saku-saku-chika | 2014-01-21 16:47 | ナショジオ