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予報はずれたね

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いつかの「今日のダーリン」

・「元気いっぱい」という表現を、
 いつでもしていないと、
 元気じゃないということになって、
 なにやらネガティブな存在に数えられてしまう。
 ほんとは、元気いっぱいでもなく、
 特別にネガティブでもない状態がいちばん多いんだけど、
 ちょっと余計に「元気」っぽくふるまっていないと、
 「どうかしたの?」なんて思われたりしがちです。
 
 それに似ているのですが、
 「死」のことを話すのも、なかなか難しいです。
 ぼくは、だいぶん上手になってきていて、
 「死」のことを言っても、
 「なにかあったんですか?」などとは、
 あんまり訊かれないようにはなってきました。
 
 などと前置きをしつつ、年の終りにつくづく思います。
 今年も、たくさんの人が亡くなったなぁ、と。
 亡くなった方に話したいことについては、
 亡くなった方に直接話すほうがいいような気がします。
 これは、もしかしたら偏屈な考えなのかもしれませんが、
 ぼくは、追悼の文章だとかコメントだとか、
 できるかぎり逃げてきました。
 でも、亡くなった人に話しかけたいことや、
 聞いてあげたいことは、ずいぶん時間が経ってからも、
 けっこうたくさんあったりするものです。
 感傷的に言うのではなく、ほんとに対話がしたいのです。
 30年近くも時間が経っているのに、
 いまごろになって、亡くなった父と話しています。
 そういう意味では、今年亡くなった方たちとは、
 もっと先になって、いろんなことを話すと思います。

 その人が「いる」ということと、
 その人は「いない」ということのちがいは、
 たしかにあります。
 それがわかるのは、それなりの時間が過ぎてからです。
 
 もうじき、来年になります。
 今年亡くなった人たちにも、いい来年になるといいな。
 死んでからも心配させちゃ、もうしわけないですからね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
死んでからも話しかけられる人として、死にたいものだね。



・昨日、宋文洲さんのツイートで、
 「起業の本質は人のやりたくないことをやることだ。
  人の思い付かないことをやるのではない。」
 ということばを見つけました。
 ぼくは「すごいリアリズム。それは成功率も高そうだ。」
 と、軽いコメントをつけて紹介しました。
 
 宋文洲さんは、誤解されそうなことでも、
 (魚で言えば、あんまり小骨をとらずに)
 とんっとそのまま差し出すことが多いのですが、
 今回の2行も、ちょっとだけそういうところがあります。
 「人のやりたくないことをやる」のは、
 誰かがやらなきゃないなら、必ず需要があるから、
 たしかに「仕事になる」のです。
 それは、個人として「職にありつく」という仕事です。
 「職にありつく」は「食にありつく」です。
 
 でも、ただ「人のやりたくないことを」
 ガマンしてやっているだけでは、仕事は育ちません。
 ひとりの「食」が手に入れられて、それだけです。
 「こうすれば、もっとうまくやれる」とか、
 「こんなふうにしたら、イヤじゃない方法でやれる」と、
 工夫したり再編集したりすることが、
 「業」にさせてくれるのだと思います。

 ただ、最初の最初に、
 「じぶんひとりでも、汚れても疲れても」という覚悟が、
 あるかないかが、とても重要なのだということでしょう。
 若い人が「起業」を語るのを、
 宋さんはたくさん見てきたのでしょうね。
 「こんないいことを思いついたんです」という話を、
 いっぱい聞いてきたんでしょうね。
 でも、そこに「人がやってほしい」と思ってくれる
 「切実さ」があるのかどうか。
 それこそが「市場」の欲しているものでしょうから。
 問われているのはそっちでしょう、と言ってるのです。

 「人のやりたくないこと」を、
 「よろこんでどんどんやれる」ようにするのが事業かな。
 そういう目で、いろいろ振り返ってみています。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」の見え見えの企業秘密は超労働集約型ってこと。
by saku-saku-chika | 2013-01-22 17:29