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好天だったのか

なるほどね 競うことで本気モードになるスポーツかい?
エコ・ゴージャス?
深いよひたすら
こういう人を知ると洟垂れだとよくわかる
でもつづかん だから
繰り返し繰り返し
だるまのように‥

好天だったのか_b0150018_15474048.jpg








あいかわらず わかりやすい言葉ですとんすとん





今日のダーリン@ほぼ日:糸井氏
 
・同じ仕事を何年もやっていくうちに、
 それまでにできなかったことが、
 できるようになったりしていきます。
 新人のころには、ものすごい難題に見えたことでも、
 その難しさの正体がわかったら、やり方が見えます。
 経験の浅いころには、
 「できないかもしれない」と思いながらやってたことも、
 やがては、「できる」と思ってやれるようになります。
 
・じぶんのことを考えても、そういうものでした。
 世界中の悩みを一手に引き受けたような顔をして、
 ひとつのコピーを書くのに、天井を見つめたり、
 公園に出かけて空気を変えようとしたり、
 ヒントになりそうな本を虚ろな目で読み出したり、
 腕組みして周囲をにらみつけてみたり、
 やっていたことがあるんです、ぼくも。

 「できる」という感触を知らないものですから、
 わけのわからない恐怖が背中に張り付いてるんです。
 「できない」ような気がしているから、苦悩するんです。

 「できたことがある」ということが増えていくと、
 「このあたりは、あれに似てるな」とか、
 「ここはスキがあったほうがいいんだ」とか、
 解決への道筋が明るく見えてきます。
 そうなってはじめて、ほんとうに考えることが、
 できるようになっていくのだと思います。

・あの日からの、ぼくらの目の前や、ぼくらの背後には、
 経験したことのなかった状況が現われました。
 はじめてだし、暗いし、見えないのだから、
 「考える」ことにたどりつくより前に、
 「悩む」ことでこころがいっぱいになります。

 ぜんぶを解決する魔法の方程式みたいなものは、
 おそらく、ないのだと思います。
 「これはできた」「ここはわかった」「これだけ進んだ」
 というような、みんなの手探りの経験の総和が、
 ぼくらの手に入れた財産であり、材料だと思います。
 失敗も含めた材料が、やっと揃いはじめたいま、
 やっと「考える」ための時がやってきたのかもしれない。
by saku-saku-chika | 2011-06-09 15:50 | つぶやき